――五年前の出会いが今の絆。

　イタリア、ローマ。その中心部にして栄華の遺跡、＜フォロ・ロマーノ＞。
　怯えた子供の目に映るのは、自分を襲おうとしている一団と、それから身を呈して守ろうとしている青年だった。背中越しに子供のほうを見て、ニッコリと笑う。
「大丈夫だよ――」青年はそういうと、前を向く。「さて、素直に引いてくれると助かるんだけどな」
　目の前の敵を守るべく立ち塞がった青年はそう話しかける。
　答えは無く、闇夜ら煌く刃の輝きがそれに相応するだけだった。
「しょうがないか」
　子供の耳には、青年がため息と共に低く静かな声が続いたのを聞いた。

「I am the bone of my sword……」


　――それぞれの過去は強さとなって現れた。


　スキール音をかき鳴らし、地面を這うようにバイクが反対車線に飛び出す。後ろから追走するバイクの列を突き放すかのように加速。反対車線で対向する車に構わず潜り抜けていく。
　子供は自分を救い出してくれた金髪の女性を見た。彼女はニッコリと笑って、
「大丈夫です。すこし荒っぽく行きますからしっかりつかまって！」
「横に！」子供が叫ぶ！
　見れば黒ずくめのバイクとライダーが迫ってきていた。女性は短く何事かをつぶやくと、背中から何かを取り出すような仕草を見せた。
「ハッ！」
　青白い光が女性の手から伸びて、風が巻き起こる。まるで風で出来た剣が薙ぎ払うように追っ手のバイクを倒した。
「さぁ、行きますよ！」
　子供の視線にはテヴィレ河が見えていた。彼女のもつハンドルはただ、その漆黒の河へ向かっているようだった。
　――！
　声無き叫び声が上がる。


　――彼、彼女らに降りかかった世界の危機。


　凛は眼鏡をはずして、凝った眉を揉み解すと全員に向き直った。其処には士郎、アルトリア、桜、イリヤ、お目付け役のルヴィアがいた。
「これは嘘偽り無く世界の危機よ。いいえ、言い直しましょう。霊長の危機よ」


　――悲劇は顎（あぎと）を上げて、彼らを襲う。


「やめろ！」
　士郎が叫ぶ。だが、その声は何の力もない。手はゆっくりと振り下ろされる。
　その刹那、士郎が見たものは笑顔だった。口が何事かを告げようとしていた。
　だが、その笑顔は一瞬に凍りつく。

　頸が切断され、無残に地面にその頭が転がった。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ」
　思考がスパークし、彼の精神は自らを守るために閉鎖した。肉体を司る一部の脳を構成するシナプスは彼が送った最後の指令である「眼前の敵を殲滅しろ」という指示を忠実に守るべく筋肉に電気信号を送る。その行動は一陣の風となって現れた。
　吹き上がる血風！
「お前ら！」干将莫耶を持つ士郎は、もはや殺戮の隷（しもべ）となって一団を見据える。
「殺す、殺してやる！」


　――輪廻は回り、因果も回る。まるで輪舞（ロンド）のように。


　ルヴィアが届いたFAXを見て言う。
「ええ、それからもう一つ。聖杯管理部門からの連絡よ。聖杯出現現象が貴方達の国で起きているらしいわ。」
「それって――」桜が疑問を口にした。凛はさもありなんという表情で、
「それは冬木の街ね」
「あら、ご存知？」
「ええ」凛は複雑な表情を見せた。心配げな顔を見せる桜へ微苦笑で「大丈夫よ」と継げると、ルヴィアに言う。
「私達の、始まりの場所よ。――そして、終わりの場所にしなきゃね」


　――されど軌跡は一度とて同じ路を辿ることなく、変化という新たな路を築く。


「アルトリア」
　凛はアルトリアにとっておきの紅茶を差し出しながら、自らも席に着いた。
「いい香りです」
「そうでしょ。レアな一品よ。フィッカルのスモーク・ティーだからね」
　凛は笑いながらアルトリアの表情を伺う。「ね、アルトリア」
「はい？」
「貴方、私に隠し事してない？」
　答えは、紅茶のカップがソーサーと激しくぶつかる音で返された。
「リ、リン、なんですか、いきなり！」
「ほんと、アルトリアったら正直ね。それでよく王様なんてやってられたわね」
　凛は微笑みながら彼女の表情を伺う。アルトリアは少し困ったような表情を浮かべ、そして答えた。
「リン、貴方にだけは言っておかないと――」


　――悔恨と恐れ。そして、義務の問いかけ。願うは虚偽。嘘という名の希望。


「アルトリア」
　庭には彼女一人が立っていた。
「シロウ。答えてください。本当のことを」
「何を？」
　シロウのその答えで彼女は知ってしまった。
「本当のことを言ってくれますか」
「俺は何時だって本当のことを言ってきたつもりだよ」
　嘘。絶対に嘘。シロウ。貴方は嘘つきだ。
　――でも、私が一番貴方のその嘘に騙されたがっている！
「本当に？」
「本当だ」
　――お願いです、シロウ。その嘘を貫き通してください。


　――最悪の戦いが待ち受ける。


「士郎。貴方にとって最大かつ最強。そして最悪の相手よ。貴方が勝てる見込みは少ないし、ましてや、勝ったとしても――」
　凛は士郎の顔を見上げた。
「そう、勝つことができたとしても、貴方は自らの手で貴方自身を否定することになる。それでも戦うことが出来るの？」
「戦う」士郎の答えは短かった。それが凛には何よりも哀しかった。なによりもその表情は五年前の、自分の前に立っていた人物と同じものだったからだ。
　――士郎、貴方にはそんな道を歩んで欲しくないの。
「憎しみのためなの？　復讐のためなの？　それが正義の味方なの？　士郎！　答えてよ！」
「凛――」


　――昨日より今日を。今日より明日を。されど輪廻は巡り、まるでメビウスの輪のように人の行いを繰り返させる。


「凛。君らしくもない」
「ええ、そうよ。判ってるの！　でもやらなきゃいけない」
「協会の通達だからか？　五大元素の使い手（アヴェレージ・ワン）だからか？　冬木の管理者だからか？」
「違う！」　凛は背の高いその人物を見上げて答えた。
　それは遠い日の誓い。語ることの出来なかった思い。果たせなかった願い。だが、今ならば、今であれば言える。今すべてに。自分に言い聞かせるように。
「未来を変えるの。この手で。だから、貴方にさよならするの」
　その言葉を聞いた人物は冷笑を止めてにこやかに微笑んだ。
「いいだろう。凛。未来を見せてくれ。すべての未来（あした）を。そして別れを告げるための今日（いま）を」


　――少女だったあの頃から成長した女性達。ある者は、あの時の誓いを履行するために立ち上がり、ある者は未来をくれた人達のために立ち上がる。


　凛はすべての準備を整えると客間を出た。そこには桜がいた。
　二人は何も言わない。ただ、お互い顔を見合わせて少しばかりの苦笑を浮かべただけだ。
　縁側にいるルヴィアがその様子を見て、腕を組んであきれ果てた声を出す。
「貴方達、本当に行くの？」
「ええ。あそこには私達の家族がいますから」桜が答える。
「きっと、死ぬわよ」
「たぶんね」「そうでしょうね」二人は笑ってルヴィアのほうを見る。
「貴方達」ルヴィアは笑って、「馬鹿よ。大馬鹿者よ」
「ええ、でも気分は悪くないわ」
「そうですね」


　――そして、すべての因果を収束させるべく戦いがはじまる。


　いつ来てもここは静かだ。
　新都の公園に立ち、周囲を見渡す。芝の養生も悪いし、木々とて細い。まるであの時からここは呪われた土地だと言ってもいい。

　声が聞こえる。

「さぁ、やるやる言ってやらないとなると信用問題に係わるんでね。ここらで決着をつけようじゃないか」

　どこまでも気楽な口調。懐かしい響き。すべてがここから始まった。
「ここはいつでも終わりの場所だ。そして、君にとってもな」
「いいや――」士郎は空を見上げた。十六夜の月が浮かぶ空には星が見えた。ああ、あの時は曇天の中に差し込む光と、そして降り注ぐ雨があったっけ――。
「ここは終わりの場所ではない。――すべての始まりの場所だ」

　手を伸ばす。調息するやいなや、両手に現れるのは干将莫耶。

「だが、決着をつけるというの俺も同感だ。ここらで終わらせよう。色々なものを」

　――過去という縛鎖。幸せという名の檻。希望という名の危険。
　それはすべてメビウスの輪に収斂される。